日航機事故
今日は単独の航空機事故で最大の犠牲者を出した、日航機墜落事故が起きて30年になるらしい。それなので、各局のニュースとかで、このことを取り上げられていたんだけど。その中で、事故発生当初は、犠牲者でもある機長が責められていたって言うんだけど、そうだったっけ?
あれだけの惨劇で乗客全員生存者なしでもおかしくなかったのに、4人生きてたのは出来るだけ衝撃をやわらげるよう操縦しようとしていたって記憶があるんだけど。フライトレコーダーが公開されてから、評価が一転したって記事があったので、当初はそういう風潮だったみたいだな。
30年前のことなので当時の記憶もあやふやだから、あらためてこの事故について調べてみたら、墜落した直後は他にも生存者がいたという情報が見つかった。
Wikipediaの記事の出典となってるのが「墜落の夏―日航123便事故全記録」という本だが。これには、最終的な生存者が4人になったのは、捜索に手間取って救助が遅れたからという指摘も書いてあるらしい。
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確かに、GPSもない当時の技術や、夜間の捜索には限界があるだろうけど。発生後の初期段階でかなり正確な事故現場の情報があったにもかかわらず、見当違いの場所を探してるからな。
当時の状況について、御座山のふもとにある村役場の前線にいた、長野県警巡査部長だった濱隆さん(67)は、「御座山付近は異常なしと本部に報告しても、『何言ってるんだ、テレビを見ろ』と言われた」と話し、御座山の情報が広く伝わる中、本部が聞く耳を持たなくなっていたと証言しています。
位置情報の誤報を広めた長野県警の本部は、おそらく冷房の効いた室内でふんぞり返りながら、ろくに現場の状況も分かってないのに現場の声を無視して指示を出してたんだろうな。ちなみに、当時の批判された機長だが、彼の遺体は歯が5本しか見つからなかったらしい。
最後まで被害を最小限に抑えるために、任務を全うした結果だろうな。
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